ガリ勉とリア充の末路

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泉田ゆうきさんインタビュー

ガリ勉とリア充の末路
By Tatsuya Shiraishi

学生時代、あなたは勉強ができましたか?

みんなが楽しそうに帰宅後ワイワイ外で野球をしていても図書室にこもって本を読んでいるタイプでしたか?

「ガリ勉」と呼ばれたことはありますか?

。。。

中学生の頃、私はリア充ではありませんでした。

好きな場所は図書館でした。

日曜日、図書館にいって、わりとぶ厚めの『論語』を手にとって借りようとしているところを友達に目撃されました。

なぜか私は気まずい思いをしました。

「しら(あだな)、そんなのよんでるの?」と聞かれました。

「いや、まあほとんどわかんないんだけどw なんか手の中に入ってた」

とお茶を濁してその場をごまかしました。

同級生の中で盛り上がる話題はポケモンやテレビの話題でした。

私はポケモン持っていませんでしたので、キャラクターの名前を知りませんでした。

「え、しら、ピカチュウもしらないの?」

とバカにされたこともあります。

基本的にテレビはあまりみなかったので、学校にいくと周りの人とあう話題はそこまでありませんでした。

中学生時代の頃、私はテストではわりと良い点数をとっていましたが、つねに

「奇跡的に良い点がとれた!」

と、自分の実力ではないような形で謙遜をしていました。

なんでそんなことをしていたのだろう?

と思って考えていたのですが

なんとなく、

「勉強できるやつ、勉強頑張っているやつはダサい」

といった雰囲気があったように感じます。

しかし、今アメリカにきて、立場は逆転しています。

教養のないやつはダサい

そんな状態に変わりました。

TOEFLでは、リーディング、リスニングなどで選ばれるテーマが、自然科学、哲学、政治などの分野から選ばれて出題されます。

例えば『印刷機』の原則について書かれたテーマで問題が出題されると、科学的な専門用語の単語を自分が知らないと答えることができません。

なので、自分の苦手な分野が出されると、かなり得点が落ちます。

学術的なテーマで出題され、それに対して答えていくのがTOEFLで、日常会話や日常的な話題のトピックからしか出題されないTOEICとは違います。

TOEICは、あまりにもTOEFLが難しいので、初心者向けに作られたものらしいです。

私たちのクラスメートは大学生〜社会人と幅広い人たちがいますが、ここでは色々な知識を幅広く知っている人のほうが、クラスで明るくはしゃいでいるけど対して知識がない人よりも尊敬されます。

知的であることが、尊敬される基準になるのです。

基本的に

キリスト教文化圏は勤勉

ですし、勤勉であることが推奨されています。

19世紀〜20世紀にかけて、地球上のほとんどは、白人の領土になっていました。

当時、白人は、白人以外の人種のことを「未開人」といった目線で見ており、もはや人ではないので、人権は適応されず、奴隷として人種売買を行うことすら普通の振る舞いとして行われていました。

産業革命、議会の設立、民主主義の勃興、などなど近代化政策や施策が矢継ぎ早で行われ国内の生産能力や軍事能力は飛躍的に引き上がっていたのが当時です。

結果として、

ミャンマー、カンボジア、ベトナム、中南米、南米、マレーシアなど、アジア、アフリカは瞬く間に白人の支配下に入りました。中国も列強に分割されてボロボロでした。

白人国家と対等に渡り合った
国は歴史上白人以外で日本だけ

です。

日本だけが唯一白人国家に対抗し、日露戦争でロシアを破るまで近代化を急速に遂げた国です。

アジアではタイは当時、ラーマ5世(チェラロンコーン)という名君がいたために、唯一、独立を保つことができました。

なお、この功績からかはわかりませんが、タイではみんな王様のことが大好きで、休日は黄色い服をきて尊敬を表したり王様がなくなるとみんな泣いたりします。

国のことを考えて奔走した素晴らしい名君でした。

日本とタイを除いてアジアは全て白人支配下におかれました。

ラーマ5世は、幼少期から近隣のジャワ、シンガポール、インド、ビルマを旅行し、植民地統治の実情を視察してまわり、西洋にも留学をしています。

そしてこのように結論づけました。

「国際法でシャム(タイ)を守ることができると考える人もいるが、国際法は文明があり正義責任についての考えが同一で、法律や制度が似ている国の間にのみ適用されるものである。西洋がアジアの国に同一権利を認めるとは思われない。日本は多大な利益と引き換えに、領事裁判権廃止を求めて条約改正に奔走した。その後、間違いに気づき、国家の制度を変え、西洋に近い法制度の整備に努めた。それゆえ今では、日本は西洋と同一の権利を与えられるべきだと主張できる。シャムが同様の権利を得るためには、日本のように国制を整え、人民を開化し、西洋人の信用を得なければならない。文明化こそがシャムを防衛できる道である」(ラーマ5世王期文書村嶋英治訳)

こうした外国からの重要資料からも読み取れるように、当時の日本は、キリスト教文化圏以外で唯一の文明国に認められていた国です。

事実、20世紀初頭では、列強と呼ばれる超大国にアジアで唯一仲間入りを果たし、重要な国際会議に出席しています。

日本は、20世紀初頭、世界から注目されています。

とくに日露戦争の勝利は、諸アフリカ国やその他のアジア植民地国に希望を与えています。

なぜ日本は、白人国家外で成し遂げることができたのでしょうか。

私はそれは、

日本国民の勤勉さ

から来ていると思います。

西洋との格差を目の当たりにしてから吉田松陰は命がけで渡航を試みて(失敗しますが)高杉晋作は中国人が奴隷同然になっていることを直接見てその危うさと、日本と列強の国力の違いを目の当たりにし攘夷から倒幕に方針を切り替え命を捧げます。

吉田松陰は斬首の前に処刑人に礼を尽くし、落ち着いて冷静に下記の句を読んで死にます。

「身はたとひ、大和の野辺に朽ちぬとも、留置まし大和魂」

高杉晋作は倒幕間際で結核に倒れ

「おもしろき、ことも無き世を、おもしろく」

という辞世の句を読んでこの世からさります。

その後、岩倉使節団では木戸孝允、大久保利通、伊藤博文ら政府の高官が海外視察に行き、早急に近代化を進めることを決めました。

議会を開き、四民平等を行い、富国強兵策を敷き、教育制度を整え、わずか50年程度でロシアと対等以上に戦えるだけの国力を整えました。

ちなみに、ここででてきている、高杉晋作、伊藤博文、木戸孝允は吉田松陰の教え子です。

辞世の句通り、彼の魂を受け継ぎ、近代化を成し遂げました。

日本人は当時

正座で読書、資本論で議論

をしているような民族でした。

江戸時代から士族階級は文武両道を旨とし、武道だけではなく書に親しみ学を治めることを旨としています。

正座で読書をしたり、灯りをつけて読書をしたり、基本勤勉でした。

明治時代になると書生と呼ばれる大学生は民主主義を議論するのであればルソーの社会契約論を読まなければ始まらない。資本論によると共産主義は、、とかこれから日本はこのように歩まねばならぬ。など

当時の世界的な趨勢を変えた分厚くわかりづらい名著を読んでそれをもとに議論をしているような国民だったのです。

つまり、日本も西洋と同じくらい、ある意味では負けないくらい勤勉な民族だったのです。

議会開催、殖産興業、四民平等
による国民皆兵制度

西洋が、なぜあれだけ力をもてたかの原因を素早く見抜き、そこから日本の政治体制を抜本的に変えて国力を増大させたのは繰り返しますが白人外諸国で日本だけです。

全ては勤勉さから来ています。

私たちは、独自の文化がありますが、それは私たちの祖先の勤勉さから来ているのです。

私は当時の白人の動きも差別がひどかったという見方よりは、私は

文明国かどうかの区別の元に平等

だと感じています。

実際に、ラテンアメリカやアメリカに来てスターバックスなどにいると、パソコン開いて仕事をしているのは白人です。

黒人の人たちは図書館でもエンタメをみて、笑っています。(勉強してる側からするとうるさいです)

文明国かどうかで良い悪いを判断していた尺度の是非はおいといて、彼らは勤勉かつ厳格に生きていることが多いのは素直に感心しています。

新渡戸稲造の「武士道」という書籍があります。

これは以前紹介した通り知的水準の高さと博識さを知識階級層に十分に示すことができる日本が誇る名著です。

新渡戸稲造の「武士道」は爆発的に売れ、セオドアルーズベルト大統領は「武士道」を30冊購入し、知人に配り、自分の子供に1冊ずつ与えて、

「この本にかかれていることをお前たちの人生の座右の銘にしろ」

と伝えました。

新渡戸稲造が記した武士道がどれだけ知的水準が高い読み物であるかは一度触れればわかります。

そして今でもホワイトハウスの書棚には武士道があります。

第一次世界大戦の時には、欧米の軍人の間でも広く読まれており、「武士道」を心の支えとして戦場で4年間肌身離さず持ち歩いた軍人もいて、それを新渡戸に突然直立不動で敬礼しながら、涙を流して語ることもいたそうです。

知のもとに平等なのです。

何が言いたいのかということですが

勤勉を誇り愛する文化を取り戻そう

ということです。

ゆとり社会、、二次元にこもる子供達、、

今が楽しい。

それもいいと思います。

ただ私は思います。

大人の色気は知能である

身体は老いても、知能は磨き続けていけば色褪せることなく輝きます。

中学時代や高校、大学時代でかけっこが早くて力が強く肉体が若々しく躍動感に溢れているのは若者の特権です。

しかしそれも、時を経るたびに色あせていきます。

リア充で楽しんでいても、不摂生でその場限りの楽しみを追求していたらいつかはお腹もポッコリでるし、禿げます。

その時に輝くのは私は教養だと思います。

その人が何を学んで来たのかだと思います。

私はガリ勉とバカにされていました。

それでも今では学んでいたことによって色々な人から尊敬をされています。

収入も高く持つことができ、美人な奥さんと子供を持つことができました。

私たちは1日1日老いていきます。

若い魅力は失われていきます。

服を着飾るのではなく、本を読み、知識をつけていくほうが魅力的な大人になることができるのではないかと思った次第です。

老人になった時に知識を感じられない人ほど恥ずかしいことはないと思います。

 

追伸:学び始めるに遅すぎるということはありません。そして学び始めることを始めるのに一番最高のタイミングは、思い立った時です。

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