伊藤潤さんインタビュー
英霊の言の葉
By Tatsuya Shiraishi
日本は1945年の敗戦国です。
そしてメディアと教育によって、誇りを奪われました。
私たちのことを思って命を捧げてくれた祖先たちは今の私たちをみて何を思うのでしょうか。
英霊の言の葉というものがあります。
戦地に向かった私の祖先たちの手紙です。
いくつか引用します。
海軍軍属 石 田 正 夫 命 三十七歳 グアム島にて戦死
昨夜子供の夢を見ていた。父として匠に何をして来たか。このまま内地の土をふまぬ日が来ても、何もかも宿命だとあきらめてよいだろうか。おろかな父にも悲しい宿命があり、お前にも悲しい運命があったのだ。
強く生きてほしい。そして、私の正反対な性格の人間になって呉れる様に切に祈る。
三月○日 内地(日本)の様子が知りたい。聞きたい。毎日、情勢の急迫を申し渡されるばかり。
自分達はすでに死を覚悟している。万策つきれば、いさぎよく死のう。
本月の◯日頃が、また危険との事である。もし玉砕してその事によって祖国の人達が少しでも生を楽しむ事が出来れば、母国の国威が少しでも強く輝く事が出来ればと切に祈るのみ。
遠い祖国の若き男よ、強く逞しく朗らかであれ。なつかしい遠い母国の若き女達よ、清く美しく健康であれ。
特攻隊 植村眞久命・子どもへ
素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。
素子が大きくなつて私のことが知りたい時は、お前のお母さん、住代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。
私の写真帳も、お前の為に家に残してあります。
素子といふ名前は私がつけたのです。素直な心のやさしい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです。私はお前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合せになつたのをみとどけたいのですが、若しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまつても決して悲しんではなりません。
お前が大きくなつて、父に会いたい時は九段へいらつしやい。そして心に深く念ずれぱ、必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮びますよ。父はお前は幸福ものと思びます。生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちやんを見ると真久さんに会つてゐる様な気がするとよく申されてゐた。
またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がつて下さるし、お母さんも亦、 御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあつても親なし児などと思つてはなりません。父は常に素子の身辺を護つて居ります。
優しくて人に可愛がられる人になつて下さい。お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを讃んで貰びなさい。
昭和十九年○月吉日父 植村素子ヘ
世界を見渡して日本人ほど綺麗な死に際を残してくれた愛と勇気にあふれた民族は他にはないのではないでしょうか。
私は日本人であることを心から誇りに思っています。日本人で生まれてこれて光栄です。
戦争に関して、メディアや、教科書はいろんなことを書いています。
何が正しいとかを議論するつもりはありません。
しかし、
母国のために自分の命を捧げてくれた人たちがいたという事実、私たちの暮らしはこうした人たちの尊いいのちから続いているという事実だけは決して忘れてはならないと思います。
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